よくあるLSD理論の勘違い
「正しいLSD」のやり方とは?

「LSD」とは?

 LSD(Long Slow Distance)とは、文字通りに長い距離をゆっくり走るトレーニングのことです。この説明からすると、LSDは長距離走の基本として誰もが取り入れているトレーニングだろうと思われます。一般的には、走る量を距離ではなく時間で決め、長い距離をゆっくり走ることで基礎となるスタミナを養成することが目的と言われています。

 しかし、ランニング上級者の間では「LSD不要論」もあるようです。「LSDではスピードがつかないからやるだけ無駄」「もっと他のトレーニングをしたほうが効果は上がる」「ジョグは速く走るほうが効果が高い」といった具合にLSDに対して否定的な意見もしばしば出ます。一方で、LSDを実施することで1988年ソウルオリンピックのマラソンに出場した浅井えり子選手のような例も存在します。

 そもそもLSDとは何なのか。そして、本当に効果があるのか。一つずつ解き明かしていきましょう。


LSDから練習の流れを作る

 まずはLSDとはどのようなものか、ということから説明します。言葉の意味をなぞれば「ゆっくり長く走る」という意味ですが、これでは通常のジョギングとの違いが分かりません。分かりやすく言えば、LSDとは「極端に遅いジョギング」といったところです。ただし、通常のジョギングは身体の調子に合わせてペースなどをある程度自由に変えたりしますが、LSDはそうではありません。最初から最後まで、一貫してゆっくりです。

 走り方としても、脚の筋力(キック)はできる限り使わず、「止まらない程度に脚を動かす」意識で走り続けます。混同されがちですが、「ロングジョグ」と「LSD」は全く別のトレーニングと言えます。目的や実施する上での注意点が大きく異なるからです。そして、多くのランナーがLSDだと思い込んでいる練習は、恐らく単なるロングジョグです。

 LSDを体系的に整理して「理論」としたものは、かつてNECホームエレクロトニクスで監督を務めた故佐々木功氏が著した『ゆっくり走れば速くなる』という本が有名です。現在、日本におけるLSDに対する認識は、これが全ての原点であると考えられます。佐々木氏はLSDを取り入れることによって身体資源、すなわち身体の『器』が開発され、より効果的なトレーニングができると述べています。

 ただし、誤解を招くのはここからです。佐々木氏は決して「LSDだけで速くなる」とは述べていないのです。佐々木氏はマラソンのトレーニングについては「LSD→コンディションコントロール→オーバートレーニング」という流れを提唱しています。これによれば、

1.LSD(疲労の回復と身体資源の開発)
   ↓
2.コンディションコントロール(軽いスピード練習などで体調を引き上げる)
   ↓
3.オーバートレーニング(タイムトライアル等で追い込む)
   ↓
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というサイクルでトレーニングを行うことにより、それぞれの練習効果が相互に働きかけて競技力が向上します。LSDは疲労を抜きながら身体資源を開発する効果があり、コンディションコントロールはオーバートレーニングの前段階として体調を引き上げる役目を持ちます。そして、このサイクルの中でメインと言えるオーバートレーニングで身体をしっかり追い込み、またLSDに戻ってその疲労を抜きます。

 よく見られる「LSD不要論」の多くは、佐々木氏の提唱するトレーニングに対する理解不足や、「LSDとロングジョグの混同」などが原因だと思われます。佐々木氏は中級以上のランナーについて「LSDだけで強くなる」とは言っていませんし、佐々木氏の提唱するトレーニングの流れも、いわゆる「超回復の原理」を長距離トレーニングに応用して強弱をつけたもので、当時としても特に目新しいものではなかったはずです。それよりも佐々木氏の理論で際立っていたのは、ロングジョッグではない、LSDというトレーニングのやり方でした。ランナーは競技力が高くなればなるほど練習で走るスピードも速くなると思われがちですが、この「佐々木一門」のLSDは、歩いている人にも抜かれてしまうほど遅かったというのです。

 なぜ敢えて遅くする必要があったのか。それを佐々木氏は「遅いペースでしか開発できない毛細血管がある」と説明しました。ただし、最新の科学や医学でも、その真偽は今のところはっきりしていないようです。しかし、私はこのLSD理論を実践するにつれて、ロングジョグにはない大きなメリットがあることに気付きました。それこそがLSDの真の目的であると考えます。


LSDの真の目的

  まずはLSDの正しい実施方法を説明します。LSDで意識することは、とにかくゆっくり走ることです。歩くよりは速いくらいのスピードで、全身から力を抜いて脚を一歩一歩正確に、まっすぐ重心の下に下ろしていきます。ストライドを伸ばさず、地面に余分な力を与えずに走るので、走るというよりは「移動する」という感じです。身体を意識的に動かすのではなく、自然に動いていく身体のリズムに逆らわないよう、慣性に脚を合わせるようにします。とにかく、スピードを上げようとする意識の一切を放棄することです。速く走ろうとする努力を放棄すると、逆に身体は慣性でゆっくりと前に進むようになります。

 こうなればあとは身体との対話です。自分はどれくらい疲れているのか、どのくらいのペースまで落とせば身体がほぐれてくるのか、一人の世界に入って感覚を追い求めます。恐らく、ゆっくり走り続けていると身体は徐々にだるくなってくると思います。しかし、これはまだ最初の段階です。だるくなったらもっと身体に主導権を預けて、ペースをできる限り落とすように努力します。だるくなるのは身体の奥底に疲れがあるからです。そのだるさを全身で感じながら走り続けます。ペースを上げてしまえば確かにその時は気持ちよく走れますが、ここで敢えてペースを上げないようにすることがポイントです。そのほうが次の日により調子が上がるからです。

 そうして走り続けていると、だるさとして表出した疲労が抜け始めて、本当に少しずつですが身体が軽くなってくると思います。これがLSDの第2段階です。ただし、軽くなってきたと思っても、そのままスピードを上げずに走り続けて下さい。この段階までくればLSDはそこでストップしても構いませんが、そこを止まらずにもう少し続けていると、身体の奥からさらにエネルギーが湧いてくるような感覚が生まれます。これがLSDの第3段階です。ここまで続けてLSDを終了するのが通常の練習のサイクルとしては理想です。

 時間的には最低でも60分、実力や疲労度によっては90〜120分を要するかもしれません。このあたりのさじ加減はある程度の経験も必要となります。スタミナ強化を目的とするなら第3段階からさらに時間を延ばして走り続けることも効果的ですし、疲労の回復が主目的なら、第2段階〜第3段階でやめておいたほうが確実です。大事なのは、何のためにLSDを行うかをはっきりさせておくことです。

 では、LSDなら本当に佐々木氏の言う「身体資源の開発」ができるのでしょうか? 私の考えは少し違います。「LSDでしか開発できない身体資源」というものが存在するかどうかは、はっきり言ってよく分かりません。ただ、LSDを佐々木氏の言うようなやり方で忠実に実行した結果、LSDの真の目的とは「練習の疲れをしっかり身体の外に出し、爆発的な力を蓄えること」だという結論に至りました。LSDを第2段階、第3段階に至るまで実施した場合、ロングジョッグとは明らかに違う身体の『爆発力』を獲得できるからです。脚のバネを使わずにゆっくり走り続けるからこそ、ジョッグとは違った効果が得られるものだと考えています。


LSDの取り入れ方と注意点

 感覚的な話が続きましたが、多くの人が気になるのはLSDを「どんなペースで」「どのくらいの時間・距離を走るか」だと思います。しかし、これには個人差があり、どのくらいの時間・速度が適切なのかは一概には言えません。私は5000mで15分台(学生時代)、マラソンも2時間43分(27歳時)の記録を持っていますが、あまりにも疲労感がある時は、LSDを1km8〜9分のペースでやることもあります。通常は1km6〜7分で、時間的には60〜90分です。60分なら疲労回復が主な目的となりますが、80分を超えるようだとスタミナ強化的な意味合いを含むようになってきます。走る時間が100分を超えるような場合は、もう完全に「強化」としてのLSDです。ジョグよりも遅いペースで走り続けるLSDは、ジョグや距離走とはまた違った種類のスタミナを強化できる実感があります。

 私の場合、1km5分中盤よりも速いようなテンポになった場合、それはLSDではないと感じます。「止まらない程度に脚を動かす」意識とはかけ離れた感覚になってしまい、ロングジョグになってしまうからです。決してロングジョグが悪いわけではないのですが、目的としている効果がLSDとは少し異なってしまいます。LSDの時は身体との対話を忘れるとペースが上がりやすくなるので、注意したいものです。

 LSDの後は、その湧き上がってきたエネルギーを使いすぎないように、スピードを少し抑えながら100m程度の流しを3〜5本入れるのがベターです。LSDによる疲労が身体の外に出ている状態ではリラックスして走れるはずです。また、面白いことに、LSDの後は脚が固まったような感覚になることもありますが、このような場合でもダッシュ系の練習をすると意外といいタイムが出たりするものです。無駄な力が入らない代わりに、LSDで使った筋肉がしっかり動いてくれるようになるからだと思います。そして、単なるジョッグでは得られない翌日の『爆発力』が、LSDでは比較的容易に手に入ることも注目すべきです。LSDを行った次の日は、LSDの時は我慢して使わなかったエネルギーが充填されたように身体がよく動きます。恐らく、佐々木氏が紹介したかったLSDの世界とは、この領域のことだと考えられます。

 しかし、だからといっていわゆる「抜きの練習」を全てLSDにすべきか、という点については一考の余地があります。ジョグには脚を『強化』できるという良さがあり、LSDと通常のポイント練習だけではどうしても身体に与える刺激がマンネリ化してしまいます。また、ある程度身体が疲労している時のLSDは効果がありますが、逆に身体に疲労がない状態では、LSDの効果は空振りします。身体が速く走ることを求めてしまい、うまくスピードを落とせなくなるからです。本来、そういう時にはLSDをやるべきではないのです。調子が上がっている時は、スピードを意識したメニューを組んで、もっと身体に別の刺激を与える必要があります。そして、そういった刺激の変化を利用したトレーニングのサイクル(循環)こそが、よく言われる『練習の流れ』なのです。


LSDの実践から身に付けるべきもの

 LSDも考えながら実践していくと、次第に次の日の体調をコントロールできるようになってきます。「今日これくらいの感覚で何分くらい走れば明日はこんな感じの体調になる」といった具合です。この段階までくれば、LSD理論はさらに発展させることができます。調整にこのLSDによる体調コントロールの感覚を取り入れることで、より優れたコンディショニングができるようになる、ということです。

 調整の目的はあくまでも試合で最高のパフォーマンスを発揮することです。「試合前日は1000mを1本入れる」というランナーがトップアスリートも含めてよく見られますが、私は何も1000m×1本にこだわる必要もないと思っています。

 前日に1000mを走らなくても、試合前の練習の段階から自分の体調をコントロールしていけば、狙った体調を試合の時に引き出すこともできるわけです。そのためにも、日々のLSDで自分の体調を見極める能力を養うことが重要なのです。そして、LSDの知られざる効果である『爆発力』の誘導も、調整段階では大いに活用できると思います。試合の時にこの爆発力を引き出せる状態を作れるようになると、調整の精度は大きく向上するでしょう。

 ところで、人間は単純な運動を続けている時のほうが、考えがまとまりやすいという説があります。LSDの副次的効果としては、この単純運動の原理で、考え事をするにちょうどいい、という要素もあります。よりよい練習効果を得るにはどうしたらよいか? レースで実力を出し切るには、どのような練習の組み合わせが有効なのか? LSDをしながらこのようなことを考えることが、強くなるためには有意義なのかもしれません。

(執筆:2001年/2016年4月20日 加筆・修正)

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参考文献<1>
故佐々木功氏によるLSD理論の原点です。興味のある人はぜひ読んでみることをお勧めします。佐々木氏のLSDにとどまらない深いマラソンの世界に触れることができます。

参考文献<2>
佐々木氏の教えを受け継いだ浅井えり子さんによるLSD理論の続編です。佐々木氏とはまた違った角度からのLSD理論があり、トレーニングへの理解を深めるヒントになります。