よくあるLSD理論の勘違い

「LSD」とは?

 LSD(Long Slow Distance)とは、文字通りに長い距離をゆっくり走るトレーニングのことです。この説明からすると、LSDは長距離走の基本として誰もが取り入れているトレーニングだろうと思われます。一般的には、走る量を距離ではなく時間で決め、長い距離をゆっくり走ることで基礎となるスタミナを養成することが目的と言われています。市民ランナーの練習メニューはもしかすると大半がLSDで構成されているかもしれません。確かに、この練習が競技力に与える影響は測り知れないものがあります。しかし、取り入れている選手がこの練習から求める効果は、人によって受け入れ方が全く違う、という現実も見過ごすことはできません。持久力養成・スタミナアップといった強化目的から、疲労除去という回復目的まで効果は様々な捉え方ができます。一方、「LSDではスピードがつかないからやるだけ無駄」「もっと他のトレーニングをしたほうが効果は上がる」「ジョッグは速く走るほうが効果が高い」といった具合にLSDに対して否定的な意見もしばしば出ます。では果たしてどれが本当なのでしょうか。

LSDから練習の流れを作る

 LSDを体系的に整理して「理論」としたものは、LSDの創始者と言われる故佐々木功氏が著した『ゆっくり走れば速くなる』という本が有名です。現在、日本で認識されているLSDに対する理解は、これが全ての原点であると考えられます。佐々木氏はLSDを取り入れることによって身体資源が開発され、より効果的なトレーニングができると述べています。ただし、誤解を招くのはここからです。佐々木氏がこの本であまりにもLSDの効果を主張するあまり、LSD以外のトレーニングについての佐々木氏の認識・見解が印象に残らないのです。先述したLSDに否定的な意見として見落とされがちなのは、佐々木氏は「LSDだけで速くなる」とは述べていない、ということです。
 確かに著書の前半部分では「LSDでも競技力が伸びる」といったことが書いてありますが、これは長距離を始めたばかりのジョガーについての話です。実のところ、我々競技者が読むべき場所はその部分ではなく、後半の「LSD→コンディションコントロール→オーバートレーニング」の流れを述べているあたりです。これによれば、「LSDによって疲労を抜きつつ身体資源を開発し、コンディションコントロールで体調を引き上げ、オーバートレーニングで追い込む」と、しっかり書いてあります。LSDだけがトレーニングなどといった短絡的なことは述べていません。つまり、佐々木氏もいたって普通の常識的な考えを持っていながら、もっとトレーニングの効果を高めるためにいろいろ考えてみようよ、という提言をしているのではないでしょうか。
 また、佐々木氏にとってのLSDは、あくまでもマラソン用のトレーニングであり、トラックとは違うことも頭に入れておかなければなりません。この本を読んでいると、LSDの効果は「身体資源の開発」に目が行きがちですが、客観的な視点を持って考えれば「疲労を抜くところはしっかり抜いて、追い込む時はしっかり追い込む」という考えに基づいているものだという結論に達します。ただ、これを「当たり前の考え」にとどめなかったところが、佐々木氏の本当の功績であると私は考えます。

LSDの方法を再考察

 まずはLSDとはどのようなものか、ということから入りましょう。LSDとジョギングの違いが分かりますか? LSDは、簡単に言えば極端に遅いJog、ということになるでしょうか。ただし、ジョギングは身体の調子に合わせて快適に走ろうとするので、同じようでもLSDの本来の意味とは性質が違います。混同されがちなのですが、「ロングジョッグ」と「LSD」は全く別のトレーニングなのです。そして、多くのランナーがLSDだと思い込んでいる練習は、恐らく単なるロングジョッグです。
 しかし、それでは本当にLSDなら身体資源の開発ができるのでしょうか? 私の考えは少し違います。身体資源が開発できるかどうかは、はっきり言ってよく分かりません。ただ、「佐々木氏が提唱するLSD」を恐らく忠実に実行した経験した私は、LSDの真の目的とは「前の日の練習の疲れをほぼ完全に身体の外に出し、爆発的な力を蓄えること」だという結論に至りました。この『爆発力』を生み出せることが単なるジョッグとの大きな違いです。
 では、さっそくLSDを試してみましょう。ここで注意したいのは、ある程度の競技力がある選手が実施する場合、身体の疲労がほぼゼロの状態でLSDを行おうとすると、全くうまくいかないという点です。実施するなら多少の疲労がある日のほうが良いでしょう。そういう選手の場合、絶好調の日は、身体が速く走ることを求めてしまい、なかなかゆっくりは走れません。
 LSDで意識することは、とにかくゆっくり走ることです。少しでも速く走ろうなんて考えてはいけません。歩くよりは速いくらいのスピードで、全身から力を抜いて脚を一歩一歩正確に、まっすぐ重心の下に下ろしていきます。ストライドを伸ばさず、地面に余分な力を与えずに走るので、走るというよりは「移動する」という感じです。身体を意識的に動かすのではなく、自然に動いていく身体のリズムに逆らわないよう、それに合わせるようにします。とにかく、スピードを上げようとする意識の一切を放棄することです。言葉では表現しにくいので、この感覚はなかなか理解できないかもしれませんが、速く走ろうとする努力を放棄すると、逆に身体は慣性でゆっくりと前に進むようになります。
 こうなればあとは身体との対話です。自分はどれくらい疲れているのか、どのくらいのペースだと身体がほぐれてくるのか。一人の世界に入ることが重要です。恐らく、走っているうちに身体がもっとだるくなってくるでしょう。しかし、これはまだ最初の段階です。だるくなったらもっと楽に走りましょう。もっと楽ができそうであれば、スピードを身体に任せてどんどん落とします。だるくなるのは身体の奥底に疲れがあるからです。そのだるさを全身で感じながら走り続けます。ペースを上げてしまえば確かにその時は気持ちよく走れますが、ここは敢えて上げないようにします。そのほうが次の日により調子が上がるからです。
 ずっとテレテレ走っていると、少しずつだるさとして表れた疲労が抜け始めて、本当に少しずつですが身体が軽くなってくると思います。ただし、これにも個人差があって、どのくらいで疲労が抜け始めるかは一概には言えません。私は5000mで15分台、マラソンも2時間43分の記録を持っていますが、あまりにも疲労感がある時は、LSDを1km8〜9分のペースでやることもたまにあります。通常は1km6〜7分です。少なくとも、1km5分中盤よりも速いようなテンポになった場合、それはLSDではないと感じます。ただし、これはそのペースで走ろうとしているのではなく、あくまでも走りを身体の感覚に任せた結果です。本当は、ペースを気にしようとする『邪念』をなくす意味で、距離が判ってしまうコースは使わないほうがいいでしょう。
 また、身体との対話を忘れて少しでもペースを上げてしまうと、身体の反応がLSDではなくロングジョッグという全く別のものになってしまうので注意が必要です。とにかく、身体が軽くなるまでゆっくりゆっくり走ります。そして、軽くなってきたと思っても、そのままスピードを上げずに走り続けて下さい。そこからまたしばらくすると、身体からエネルギーが湧いてくるような感覚になります。どちらかと言えば短距離的なバネがたまるといった感じで、そこまで体調が変わってきたらやめます。
 LSDの後は、その湧き上がってきたエネルギーを使いすぎないように、スピードを少し抑えながら100m程度の流しを3〜5本入れます。LSDによる疲労が身体の外に出てきた状態だと思いますが、やってみればリラックスして走れるはずです。また、面白いことに、LSDの後は脚が固まったような感覚になることもありますが、このような場合でもダッシュ系の練習をすると意外といいタイムが出たりするものです。無駄な力が入らない代わりに、LSDで使った筋肉がしっかり動いてくれるようになるのだと思います。そして、単なるジョッグでは得られない翌日の『爆発力』が、LSDでは比較的容易に手に入れられることも注目すべきです。恐らく、佐々木氏が紹介したかったLSDとは、この領域のことだと考えられます。
 ただし、だからといっていわゆる「抜きの練習」を全てLSDにすべきか、という点については一考の余地があります。ジョッグには脚を『強化』できるという良さがあり、LSDと通常のポイント練習だけではどうしても身体に与える刺激がマンネリ化してしまいます。また、ある程度身体が疲労している時のLSDは効果がありますが、逆に身体に疲労がない状態では、LSDの効果は空振りします。そういう時には本来、LSDをやるべきではないのです。調子が上がっている時は、スピードを意識したメニューを組んで、もっと身体に別の刺激を与える必要があります。そういった刺激の変化こそが、よく言われる『練習の流れ』なのです。

LSDの実践から身に付けるべきもの

 LSDも考えながら実践していくと、次第に次の日の体調をコントロールできるようになってきます。今日これくらいの感覚で何分くらい走れば明日はこんな感じの体調になる、といった具合です。この段階までくれば、LSD理論はさらに発展させることができます。それは、調整にこのLSDによる体調コントロールの感覚を取り入れることで、より試合に向けたコンディショニングができるようになる、ということです。調整の目的はあくまでも試合で最高のパフォーマンスを発揮することであり、よくある前日の1000mをいいタイムで走ることではありません。皆この辺が分かっているようで、意外と分かっていないのです。
 つまり、前日に1000mを走らなくても、試合前の練習の段階から自分の体調をコントロールし、狙った体調を試合の時に引き出すことができれば、調整の目的は達せられるということです。そのためにも日々のLSDで自分の体調を見極める能力を養うことが重要なのです。そして、LSDの知られざる効果である『爆発力』の誘導も、調整段階では大いに活用できると思います。
 調整は経験を生かせば生かすほど、完成度が高くなります。しかし、試合ごとに反省をして、その時にきちんと分析ができなければ、知識も経験も全く無駄なものとなってしまいます。この点はよく頭に入れておくべきです。
 ところで、人間は単純な運動を続けている時のほうが、考えがまとまりやすいという説があります。LSDの副次的効果としては、この単純運動の原理で、考え事をするにちょうどいい、という要素もあります。よりよい練習効果を得るにはどうしたらよいか? レースで実力を出し切るには、どのような練習の組み合わせが有効なのか? LSDをしながらこのようなことを考えることが、強くなるためには一番有意義なのかもしれません。

(執筆:2001年/2011年2月6日 一部修正)

参考文献<1>
故佐々木功氏によるLSD理論の原点です。
興味のある人はぜひ読んでみることをお勧めします。
参考文献<2>
佐々木氏の教えを受け継いだ浅井えり子さんによるLSD理論の実践編です。
トラックをベースに考える僕とはちょっと方向性が異なりますが、トレーニングを考えるヒントになります。



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