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「フジノリ駅伝倶楽部」のその後

 かつて「フジノリ駅伝倶楽部」というWebサイトがあったのをご存じでしょうか。当時、中大の陸上部員だった藤村典史さんが立ち上げた陸上系個人サイトで、その圧倒的なクオリティとコンテンツの充実度から、2000年代前半に一時代を築いていました。特に、藤村さんが自身の経験を元に書いた「陸上論」は質・量ともに群を抜いており、多くの長距離ランナーが参考にしたはずです。

 それ以外にも、趣味の日本史から旅行、ゲームに至るまで、とにかく話題が豊富で造詣も深く、サイトの構造も個人が作ったとは思えないほど高度で、大学生になったばかりの僕にとっては衝撃的なサイトでした。

 僕も大学生1年生の時に自分のホームページを立ち上げましたが、それを作る上で参考にしたのは間違いなくこのフジノリ駅伝倶楽部でした。もちろん、自分なりの構想はありましたが、それを具体化する上で、サイトの構造からコンテンツまで、すべてのベースがフジノリ駅伝倶楽部だったことは否定のしようがありません。

 それでも、僕がフジノリ駅伝倶楽部を一番参考にしたのは、自分が法大に編入した後のことだと思います。箱根駅伝を目指して上京したものの、道のりはあまりにも険しく、今になって振り返れば完全に自分のキャパシティを超えていました。そんな中、藤村さんが自分と同年代の時はどんなことを考えていたのか、フジノリ駅伝倶楽部に残されていた昔の日記をひたすら読み返しました。僕にとってフジノリ駅伝倶楽部は人生の道しるべのようなところがあったと思います。

 ところが、フジノリ駅伝倶楽部はある時を境に更新がなくなり、ついにサーバー上からも消滅しました。就職して忙しくなり、残す意味がないと判断されたのだと理解しましたが、あれほどの才能を見せていた藤村さんがその後どうしているのかはずっと気になっていました。

 そして、サイトが休止してから約10年。インターネットを見ているうちに、藤村さんは「ぶちえらい」という飲食店の経営者として国立市にいることが分かりました。これは、一度はお会いしなくてはならない。Facebookで友達申請をして、いつかはお店に行こうと決意しました。しかし、なかなかその機会は訪れませんでした。

 そうして時は流れ、2020年。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、飲食店の客足が落ちているということを藤村さんが発信されているのを見ました。

行くなら今ではないか?
思いついたら行動に移すのが早いタイプなので、迷いはありませんでした。

 仕事が終わったタイミングでまずはお店に電話をして、藤村さんがいることを確認。いきなり名乗っても分からないだろうと思い、特に自分の素性は伝えませんでした。そこから電車に揺られ、いざ国立市へ。藤村さんのいるお店「ぶちバル」は駅からは徒歩1分程度です。



ただ、いざお店を前にすると緊張しました。20年近く前にインターネット上でしか交流のなかった人間が、こうしてわざわざ会いに来るって、冷静に考えると結構おかしいよなぁ?

それでも、意を決して進みます。相手がどう思っても、少なくとも僕にとって藤村さんは恩人なのです。一度は会わないと後悔する。そう思いました。



 本当はフジノリ駅伝倶楽部を見ていた人を連れてきたかったのですが、あいにく知っている人はみな予定が合わず、一人での入店です。他にお客さんもいて忙しそうでしたし、入っていきなり自己紹介をするのもタイミングが悪い気がしたので、お酒と料理を頼んでしばらく様子を見ることにしました。



 お酒も料理も抜群に美味しいです。しかも安い。メニューにもお酒にも、店内のあらゆるところに経営者としてのこだわりを感じます。



 少し落ち着いたところで改めて藤村さんに話しかけ、自己紹介をしました。藤村さんが僕のことをどこまで正確に覚えていたのかは分かりません。ただ、FBでつながっていることもあってそこからの話はスムーズでした。


 長年の疑問を解決しようと、気になっていたことを聞きました。大学卒業後、何をされていたのでしょうか?

 藤村さんは大学卒業後、一旦地元の山口に帰った後、指導者になろうと教員免許を取りに大学へ戻ったそうです。しかし、教員採用試験は倍率も高く、正式採用になるまでに時間がかかることが予想されたので、「もう一つの好きなこと」として飲食業の道へ。33歳で独立し、国立に「ぶちえらい」をオープンしました。場所が国立だったのは「たまたま」だったと言います。

 独立するまではお店で働いてはいたものの、料理は独学だそうです。ただ、出てくる料理はどれも絶品で、外国で修業をしたのかと聞かれることもあるようです。19年前にフジノリ駅伝倶楽部を初めて見た時のように、僕は本物の藤村さんに圧倒されました。

 陸上関係者の来店も多く、中大の藤原正和駅伝監督もよく来るそうです。最近の陸上界や中大陸上部のことなど、いろいろな話をしました。その中でも物事の本質を見通す分析力など、頭の良さを端々に感じました。まるでフジノリ駅伝倶楽部が復活したようで、僕にとっては夢のような時間でした。

 お店は不定休とのことで、「あまり休んでいない」と言います。
「飲食店経営もフジノリ駅伝倶楽部の延長線上だと感じます。陸上でもそうでしたけど、休まなくても平気なんですよ」
 現在はYoutubeチャンネルを開設したりして、新たな客層の開拓にも余念がないようです。相変わらずITスキルはズバ抜けています。今も藤村さんはあの頃と変わらずに時代の最先端を走り続けているのだと実感させられます。

「フジノリ駅伝倶楽部、復活させようかなぁ」

 サイトはプロバイダーを変えた際にネット上からは消えたものの、データ自体は残っているそうです。いつか何らかの形でまたフジノリ駅伝倶楽部が見られるかもしれません。



 フジノリ駅伝倶楽部の存在を知ってから19年目、こうしてお会いできて感激でした。きっと僕と近い世代の、現在30代〜40代の陸上関係者は気になっていたと思います。せっかくの機会なので、僕も休止中だった「言いたい法大」を動かし、こうしてフジノリ駅伝倶楽部の「その後」を紹介させていただくことにしました。

「フジノリ駅伝倶楽部」と「言いたい法大」。箱根駅伝を目指し、インターネット黎明期のネット陸上界を盛り上げたサイトの管理人たちは、今もそれぞれの分野で活動中です。

2020年4月7日更新


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